インナーヒルズの愉快で心がはずむ旅行記

写真と動画による旅行先での非日常的体験の記録

日本海海戦日誌

 宗像市の神湊(こうのみなと)港からフェリーに乗って大島に向かいます。

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 所要時間は約25分です。たった25分でそれほど揺れてもいなかったのですが
なぜか途中で船酔いしてしまいました。吐き気を催してひたすら耐えている間にフェリーは大島に到着しました。

 到着した大島の港にはたくさんの漁船が係留されていました。大島ではほとんどの家が漁業に関係する仕事に就いていて漁業が大島の主産業になっています。漁船で港を出港すると、そこには玄界灘という最高の漁場があるのでロケーション的には恵まれていると思います。のちほど民宿で昼食をいただいたのですが、お刺身がとても新鮮だったのが印象的でした。

 港にほど近いところに中津宮があります。鳥居が2つあり海に近い方の鳥居は比較的新しくて奥の方の鳥居はそれより古い時代の鳥居のようで石柱の表面がごつごつして荒れた感じです。

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 鳥居をくぐると左側に天の川という小川が流れていています。ここは七夕伝説の発祥の地とされていて今では縁結びのパワースポットになっているそうです。

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 天の川のほとりには天真名井(あめのまない)と言われる湧き水が湧いていて
湧き水は直接ひしゃくですくって飲む事ができます。ミネラル成分が少ないような柔らかい味わいの水でした。

 お参りをした後展示物を見ていると「沖津宮日誌」というものが展示されていました。「明治三十八年(1905)五月二十七日露国バルチック艦隊を沖ノ島沖合で撃滅した日本海海戦を望見した記録です。」という説明が書き添えられています。

 日露戦争当時沖の島のすぐ近くで日本とロシアの艦隊が相まみえた日本海海戦を沖の島に居た沖津宮の神職の身の回りの世話をした当時16歳の佐藤市五郎さんという人がを目撃して残した記録だそうです。

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 昔、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で日本海海戦のくだりを読んで連合艦隊司令長官の東郷平八郎や参謀の秋山真之の活躍に胸踊らせたものです。日本が大勝利したこの歴史上の海戦を見物できたなんてうらやましい限りですが、それは勝利した結果を知っているからで、彼はそれこそ日本がロシアに負けて国が亡ぶのではないかという悲壮な思いでこの海戦を見ていたのでしょう。書かれている文字からもその緊迫感が伝わってきます。

 原文も抄録も共に文語体で書かれていて読みづらいです。文章の大部分が海戦が始まった5月17日についての記録になっているので、この部分を私が今の話し言葉に翻訳してみました。以下にその全文を記載します。

「5月17日 西風が強く 曇り 霧が出ている。本日毎日のお勤めを行った。宗像。市五郎。

 本日、午前7時40分ごろ、敵艦隊が対馬と壱岐島の間の東水道を通過したと思われるので警戒するようにとの至急電報が入ったと、軍の見張り役の人から教えられました。正午から沖ノ島の西北方向に盛んに大砲の音が聞こえました。

 午後1時ごろ我が艦隊が見えないとの電報があり、その通知を受けて一同が目をこらして海上を警戒していると、2時15分ごろから大砲の音が次第に近づいているように聞こえました。気を付けて見ていましたが、今日は霧が出ていたために5海里*1以上先は見えず、見張りをすることは困難でした。

 2時半ごろ敵か味方か判りませんでしたが、1隻の艦船が砲火を左右に受けとても苦戦をしているようで、できる限り応戦をしながら西南の方向4海里の位置に現れました。我が艦隊の船なのか、それとも敵の艦隊の船なのか、我が艦隊の船でなかったらそれは敵の艦隊の船に間違いないと瞳をこらして良く見るとなんという事か、我が艦隊の「和泉」が敵の砲撃を受け応戦しながら退却している状況でした。

 間もなく敵の艦隊18隻が水雷艇と駆逐艦を伴い、合わせて56隻が突然4海里先の位置に現れました。その隊形は整ってはいませんでしたが艦船の間に水雷艇や駆逐艦を挟みながら西北の方向に進んで行きました。

 我ら一同怒りを抑えることができませんでしたが、どうすることもできませんでした。軍の見張り役の人もすぐにに色々な所に緊急連絡をしていました。この間、一同が敵艦の動きに気を付けているところに2時40分、4隻の軍艦が西南の方向に現れました。

 再び敵艦が遅れて到着したのではないかと一同恐怖の念を禁じ得ませんでしたが、良く見ると喜ばしい事に到着したのは敵艦隊の位置を探り当てた、待ちに待った我が艦隊の「千代田」「常盤」「磐手」「八雲」の4隻でした。そしてすぐに海戦が始まりました。

 だんだんと大砲の音が刻一刻と激しさを増し、天を支える柱も折れ地盤も裂けるようになり、あたり一面大砲の煙がたなびいて海上を覆い、大砲を撃つ光が頻繁に輝き、眠っていた海の神を驚かし、さらに強風と荒波が加わり海上は激烈な状況になりました。

 朝霧が立ち込めた海上の光景はますます陰惨な状況が増していき、極度にすさまじい状況になりました。午後3時になると我が艦隊が敵を圧迫するようになり、敵艦は方向を変えて逃げようとし、我が艦隊がその退路を遮ろうとしました。

 この時すぐに遠くの海上に我が艦隊の主力である50隻あまりの艦船が現れ協力して退路を断ち敵艦隊を包囲し攻撃を始めると、敵艦隊はついに隊形が乱れて苦戦するようになり、我が艦隊は挟み撃ちで追撃しながら西北方向に進んでいきました。

 午後4時になると敵艦隊の隊列はばらばらになり、苦戦して各艦が個別に戦場から逃げるようになりました。この時に3か所で演じられた戦闘艦は、まるでお互いに組み合った駆逐艦や巡洋艦がともに互いに演目を演じているように思いました。

 この時敵の2艦が火災を起こし、内1艦はマストが折れエンジンが故障したのか一時的に隊列から離れ後方で応急の手当てをしてすぐに隊列に戻りました。

 午後5時ごろからは追撃になり、艦船が沖ノ島から遠ざかったことと日没になったことで見えなくなりました。午後8時ごろ電話で敵艦3隻が北南方向に向かったと思われるとのことでサーチライトで海上を照らしましたが敵艦を確認することはできませんでした。

 警戒を頼むとの連絡があり、すぐに水夫の佐藤松五郎さんと高見に登り見張りを行いました。しばらくすると亀瀬の向こうの東の方向と天狗鼻木屋島の方向に白いライトを見ました。すぐに軍の見張り役の人に報告しました。この艦船は壱岐島の沖方向に逃げた艦船と思われました。

 続報を待っていた深夜遅くに大砲の音を聞きました。一同は床に就くことなく翌日の朝を迎えました。」
以上です。

 このあと大島の北側にある沖津宮遥拝所に向かいます。

 

坂の上の雲 全8巻セット (新装版) (文春文庫)

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*1:1海里は1.852km。以前小型船舶の講習会で、1に7を足して8、8に7を足して5、5に7を足して2と覚えるとよいと教わりました。