インナーヒルズの愉快で心がはずむ旅行記

写真/動画による旅行先での非日常的体験の記録

MENU

バルト三国リトアニアにある十字架の丘

十字架の丘

 十字架の丘はシャウレイという町の郊外にあります。周りには農地や草原が広がっていて建物など何もない所でバスを降ります。駐車場には売店があって、大きな物から小さいものまで様々な十字架が売られています。これは持って帰るお土産ではなく、それぞれが十字架の丘に持って行って置いて帰るためのものです。
 両側に草原が広がっている通路を400メートル位歩いて行くと、十字架の丘に到着します。

f:id:Comtes_Lafon:20210809105842j:plain

f:id:Comtes_Lafon:20210809105858j:plain

f:id:Comtes_Lafon:20210809105913j:plain

 十字架は小さな丘に密集して置かれていました。中にはキリストの像やキリストが十字架に架けられている形のものがあり、大きなものは5メートルくらいの高さがあるようです。

f:id:Comtes_Lafon:20210809105949j:plain

 十字架の丘の中央部は手すりの付いた通路になっていて階段を登って入って行けます。階段を登って行くと通路の両側にはたくさんの十字架が置かれているのが判ります。大きな物から小さな物は手のひら位の物まで、実に大量の十字架が置かれて圧巻です。その数は10万個を超えると言われていて、さらに日々増え続けているそうです。

f:id:Comtes_Lafon:20210809110027j:plain

f:id:Comtes_Lafon:20210809110041j:plain

 なぜこれだけの量の十字架が置かれるようになったかというと、元々は19世紀にロシアの支配下にあった時代に、ロシアの圧政に立ち向かった結果処刑されてしまった人達を追悼するために、十字架を建てた事が始まりなのだそうです。
 その後多くの人達が十字架を捧げ続けた結果、このような形になっていったのです。 ソ連の時代には弾圧に対する抵抗の象徴になっていたのを、ソ連軍が何度もブルドーザーで撤去しましたが、その都度多くの人が再び十字架を持ち寄ることで、いつのまにか撤去する前の状態に戻されました。
 そして1990年にリトアニアはソ連から独立したことで、今日まで十字架の丘は残されたのです。信仰と民族の誇りによる非暴力の抵抗がついに勝利を勝ち取ったと言っていいでしょう。

 通路は丘の向こう側まで続いていて十字架は隙間なく置かれています。箱の中にマリア像が置かれている物もあります。

f:id:Comtes_Lafon:20210809110159j:plain

f:id:Comtes_Lafon:20210809110216j:plain

f:id:Comtes_Lafon:20210809110230j:plain

 

 十字架の丘の観光を終え、バスはラトビアの首都リガに向かいます。十字架の丘までが1カ国目のリトアニアでここから先が2カ国目のラトビアになります。リガに向かう途中のバスの車窓からの景色は山など全く見えず、ひたすら農地や草原が広がっているだけです。このような景色がリトアニア郊外の典型的な景色です。

f:id:Comtes_Lafon:20210809110317j:plain

リガ市内のホテルに到着

 本日宿泊するホテルはリガ市内のホテルです。築後百年以上経っている古い建物のホテルです。

f:id:Comtes_Lafon:20210809110349j:plain

f:id:Comtes_Lafon:20210809110404j:plain

 宿泊した部屋には大きな窓がなく、小さな四角い穴が数か所付いていました。まるで日本のお城にある鉄砲を撃つための狭間の穴のようです。後で建物の外側から見ると建物の最上部に四角い穴が開いているので、おそらく部屋にあるのはこの穴なのでしょう。

f:id:Comtes_Lafon:20210809110448j:plain

f:id:Comtes_Lafon:20210809110505j:plain

 ホテルの周辺の道路はヨーロッパの街らしく石だたみになっていて、道路には路面電車が走っていて市民の日常の足になっているようでした。

f:id:Comtes_Lafon:20210809110544j:plain

f:id:Comtes_Lafon:20210809110600j:plain
 明日はリガ郊外にあるルンダーレ宮殿の観光に向かいます。


バルト三国 次の記事
www.innerhills.com