五島列島の世界遺産の教会
4月末に旅行会社のツアーで五島列島の観光に行ってきました。
五島列島とは長崎県の西部にある主に5つの島、南から福江島(ふくえじま)、久賀島(ひさかじま)、奈留島(なるしま)、若松島(わかまつじま)、中通島(なかどおりじま)から成る列島です。実際には列島の名前の由来になったこの5島だけではなく、小さな島も合わせると140以上の島々があります。
以下に五島列島の地図が紹介されたツイッター記事を貼り付けておきます。
2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に認定されました。この世界遺産は熊本県から長崎県にかけての12の構成資産からなっているのですが、この内4つの構成資産が五島列島にあります。
今回のツアーでは、この内以下3つの構成資産に該当する教会を訪ねてきました。
「久賀島の集落」(旧五輪教会堂)
「奈留島の江上集落」(江上天主堂)
「頭ケ島の集落」(頭ケ島天主堂)
これらの教会は、日本でキリスト教が禁じられていた17世紀から19世紀にかけて、ひそかに信仰を続けていた、いわゆる「潜伏キリシタン*1」の人達によって、禁教が解かれた明治6年以降に建てられた教会です。
信仰を続けた「潜伏キリシタン」の伝統のあかしとしての遺産群が評価され、世界文化遺産に認定されたものです。
旧五輪教会堂(きゅうごりんきょうかいどう)
「旧五輪教会堂」は久賀島の五輪地区という、島の中でも自動車で行けない陸の孤島のような地区にあります。福江島の港から総トン数15トン 定員35名の小型の船(海上タクシー)に乗って向かいます。
海上タクシーで約20分ほどかかり久賀島の小さな港に到着すると、港のすぐ近くに「旧五輪教会堂」は建っていました。
「旧五輪教会堂」は木造の教会です。元々旧浜脇教会という別の地区にあった明治14年建造の古い教会を、昭和6年の教会建て替えの際に今の場所に移築したものです。五島列島に現存する木造教会としては最古の建物です。
通常教会の内部は撮影禁止なのですが、ここの教会だけは特別に撮影が許されています。すでに使われていない教会であることと、教会の建物が五島市の文化財に指定されていて五島市が撮影を許可しているためです。
教会の内部は三廊式のゴシック様式になっており、リブヴォールトと言われる天井のアーチ状の部分は天井も骨組みも木製です。明治初期に地元の大工さんによって在来工法による和風建築として造られ、日本建築史上の貴重な文化財となっています。
祭壇はカトリックにしては質素ですが、五島列島にはカトリックの教会しかないので決してプロテスタントの教会ではありません。
祭壇中央に祀られているのは珍しく聖ヨセフと幼子イエス像で、左側にキリスト像、右側にマリア像が祀られています。
左右の壁面にはキリストが処刑された日の顛末を絵画で表した、いわゆる「みちゆき」の額が7枚ずつ掛けられています。
「旧五輪教会堂」は港のすぐ近くに建てられているので、教会の窓からすぐ近くに海が見えていて、心地よい風が吹き抜ける実に趣のある教会でした。
「旧五輪教会堂」のすぐ横には現在使われている新しい教会も建てられています。こちらは昭和60年建造の五島列島で最も新しい教会です。つまりここには五島列島で最も古い教会と最も新しい教会が並んで建っているのです。
江上天主堂(えがみてんしゅどう)
「江上天主堂」は奈留島にある教会です。久賀島から海上タクシーで約15分ほどで奈留島の港に到着します。港から5分位歩いた小高い林の中に教会は佇んでいました。
林の中の階段を登ると、白い外壁と水色の窓からなる明るい教会が現れました。
とても美しい教会で、正面上部には漢字で「天守堂」と書かれています。
「江上天主堂」は日本の教会建築の父と呼ばれている五島列島出身の建築家である鉄川與助(てつかわよすけ)氏が設計施工し、大正7年に完成した木造の教会で、国の重要文化財にも指定されています。
賛美歌の声の反響を良くするために天井の形状をコウモリが羽を広げたような形状にしたり、湿気を避けるために床を高く上げたり、軒先に開口部分を設けるなど様々な工夫が設けられています。
建物裏側の屋根中央部分には十字架の形に穴が開けられていて、朝日が当たると壁に十字架の形の光が照らし出されるように設計されています。
また内部の窓ガラスには花の絵が描かれているとのですが、残念ながらこの教会の内部の見学はできませんでした。ただ建物外側のガラリ戸の隙間から窓ガラスを見ると、確かに美しい花の絵が描かれているのが見えていました。
奈留島をあとにして中通島に向かう途中、海上タクシーは若松島にある「キリシタン洞窟」の前で一旦停泊します。
ここは明治の初めにキリスト教に対する迫害から逃れてきた信者が隠れて生活していた箇所で、煮炊きする際の煙を通りかかった船に発見され、捉えられて棄教を強制されひどい拷問を受けたのだそうです。
船からは洞窟の入口は見えませんでしたが、白い十字架とキリスト像が建てられていました。
海上タクシーは「キリシタン洞窟」の近くにある縦長の穴が開いた岩の前にも立ち寄ります。「ハリノメンド」と呼ばれていて何だか外国語のような言葉ですが、「メンド」とは穴という意味の方言で「針の穴」と言う意味の日本語です。
見る人によっては穴の形が幼子イエスを抱いたマリア様に見えるそうで、言われてみれば穴の向こうの島影がマリア様の着衣のようにも見えます。
頭ケ島天主堂 (かしらがしまてんしゅどう)
「ハリノメンド」から海上タクシーで約15分位で中通島に到着です。本日の海上タクシーでの移動はここまでです。「頭ケ島天主堂」は中通島と橋で繋がっている頭ケ島にあり、バスで向かいます。
頭ケ島は禁教時代には病人の療養地で人が近づかなかった地区であったことから、キリシタンが移住潜伏する適地とされました。
禁教が解かれてから木造の教会堂が建てられていて、現在の教会堂は二代目の建物です。
到着するとそこには石造りの教会が建っていました。「頭ケ島天主堂」は「江上天主堂」と同じ鉄川與助氏の設計施工の教会で、近くの砂岩を切り出して造られ、大正8年に竣工した全国でも珍しい石造りの教会です。
国の重要文化財にも指定されています。どっしりとした外観の外壁と赤い屋根のコントラストが美しい教会です。
「頭ケ島天主堂」は内部の見学はできたのですが、撮影は禁止でした。
下は教会近くのインフォメーションセンターに展示されていた教会内部の写真パネルを撮影したものです。上の写真が教会入口の方向を撮影した写真で、下の写真が祭壇側を撮影した写真です。
天井は船底型の折り上げ天井になっていて豪華です。各部の装飾は五島列島の椿の花などをあしらっていて「花の御堂」とも呼ばれています。外観の重厚さからは意外に感じるほど内部は華やかな教会です。
祭壇は2つあり壁に密着した祭壇は昔の祭壇で、手前の祭壇は現在の祭壇です。昔は神父さんが壁に向かってお祈りしていましたが、現在では信者の方向を向いてお祈りするようになったためとのことです。
(「頭ケ島の集落インフォメーションセンター」展示分)
今回は五島列島にある3つの構成資産に該当する教会を訪ねましたが、五島列島にはもう1つの構成資産「野崎島の集落跡」(旧野首教会) があります。今後機会があれば行ってみたいと思います。
*1:「潜伏キリシタン」とは、キリスト教が禁じられた宣教師不在の時期に、日本の伝統的宗教や社会と関わりながらひそかに信仰を続けていた人達をいう。これに対して禁教が解かれた後もカトリックの教会に戻らず、引き続き「潜伏キリシタン」以来の信仰を続けた人達を「かくれキリシタン」と呼びます。